「こだわり」と「はしこさ」
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夫は「こだわり」 妻は「はしこさ」

「こだわり」は根、「はしこさ」は葉
根があって葉が茂る。葉が茂って木は大きくなる
根は岩をも破って深く広く地中に張り木を支える
葉は光を求めて高く広く茂り 他を超えようとする
しかし 葉が茂りすぎると 光を遮り 自分自身の成長を妨げる


物作りに必要なことは 「こだわり」だ。
こだわりのない物作りは 廃れていく。こだわりは 完璧を願う心だ。
この心がないと 心のない物ができてしまう。
「こだわりの心」は永続性を約束する技術と職人の技の心である。

先日TVでニコンが40年前の機械式カメラを復刻し 
一台48万円で売り出したところ 大変な評判になった旨の報道をしていた。
「こだわりの製品」の永続性を示すひとつの例である。
(今治のタオルが 曲折の後 結局「白くて 吸湿性能が良い」というタオル本来の技術
が他の追随を許さぬ力を発揮でき 同時に 高くても良く売れる、と言う)

商売に必用なことは「はしこさ」だ。
はしこさは時代の要求を感じ取る目敏さだ
これがないと商売は時代の流れから取り残される

企業には 「こだわり」と 「はしこさ」の 両方がなければだめだ。
「こだわり」だけでは やがて食えなくなる。「はしこさ」だけでは 嫌われる。

「はしこさ」は商人(あきんど)の知恵である。
「はしこさ」の源は「欲」だ。速く・多くを求める。
バブルは「はしこさ」が過ぎたから生じた。
「はしこさ」は速度を求めるあまり 節度を見落とす所がある。
時代の流れの波頭を読み取れるのは「はしこさ」だが 危険が一緒だ。

「はしこさ」を無くした企業は 安定はするが 時代の流れから取り残され衰えていく。
そして「こだわり」が 腐った鯛の骨のように 現れる。
鯛の骨は 飾り物にはなるかもしれないが 多くの人を支える栄養にはならない。

企業は大きくなると安定と節度に重きを置く。
だから「こだわりの心」は残存しているが 「はしこさ」が衰えてくる。
そして存立が危ないと気がついて 打つ手は「こだわりの心」を捨てることをする。
これがリストラだ。
「はしこさ」を付けなければならないのに 「こだわり」を捨てる。
「はしこさ」のいき過ぎへの反省もあるのかも知れない。
組織に「はしこさ」を付けるのは容易でない。 新しい企業は「はしこさで」で急成長する
が、「こだわり」が確立されていない
だから節度なく猪突猛進してしまう
「こだわり」は「心・老舗の心」のようなものが芯になっている

組織では「こだわり」も「はしこさ」も人だ
だから「はしこさ」の人と「こだわり」の人は対立する

そして「こだわり」は「品質基準」「技術基準」「人材育成基準」などという文章になるの
だが とても文章で書き切れるものではない
「はしこさ」は 「管理基準」「行動基準」などで 常に制限される表現になる。
そこで規制緩和等と言われると 「書いてない事」は「やって良いこと」と勘違いする愚か者が出る。
「書けない事」「書くことが難しいこと」が沢山有ることを無視する 不徳者が出る。

「はしこさ」も「こだわり」も倫理観を飛ばすことは出来ない
「はしこさ」と「こだわり」をバランスよく持つことなど出来ない
必ずどちらかに偏ってしまう
そこでどちらかが強くなったら揺り戻す力を蓄えている事が永続性で大事だ
会議で7:3で反対意見を言う輩 を温存する力だ
やがて3が7に成長する時が来ると信じる力だ
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物を作るということ
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「こだわり」を忘れ「利益」に走る。やがて破綻を招くだろう!!

雪印乳業の大阪工場で製造している製品に、「菌」のコンタミネ−ションが起こって、
多くの人が下痢や腹痛を起こし、病気になった人もいると言う。
更に大阪工場だけだは納まらず、京都や東京の日野工場までにも広がりつつある様だ。
食品工場の設備は「サニタリー」仕様と言って、普通の工場等の水道配管とは違い、
細菌や異物が滞留しにくく、その上分解・清掃・殺菌・組立が容易なように出来ている。
即ち 食品が触れている設備を常に 綺麗にして 塩素消毒や蒸気殺菌を行って
できうる限りの無菌状態に保って運転しやすい様に出来ているのだ。
裏を返せば それ程に手を掛けないと安全を保つ事が難しいと言える。
食品工場或いは食品会社にとっては、いくら努力しても統計的にはゼロにする事が出来無い
「製品に含まれてしまう菌数」を、いかに限りなく零に近付けるかが
最重要の基本的課題なのだ。

これを理解して 容易ではない問題を なんとかクリヤーしようとするから
品質管理が必要になり 安易な方向に走らない様に歯止めを掛ける。
安易に走ら無いで 困難を克服して築いてきた規範を組織で分担して仕事をしているから
専門業者といえる訳で、
信頼もされ お客様が出来る。それが 雪印乳業では 見失われてしまったのだ。

経済的に苦しくても決してやってはいけない事が有る

生産管理が悪くて生じた余剰生産品を再利用・出荷する。
誤発送で出荷された後返品された製品を再利用・出荷する。
不良品を再利用・出荷する。

工場で折角完成品にした物を廃棄するのと、再利用するのでは、経済的に大きな差が生じる
廃棄すると使った原材料の費用、製品を完成させるまでに掛かった人件費、
電気代や設備償却費、更に廃棄する為に必要な運搬費や処理代が掛かる。
だから会社の利益を考えると、無理しても目をつむって再利用・出荷したくなる。
そして問題が生じなければ、これが当たり前になってしまう。
利益最優先の経営だと利益を上げる事が正しく、利益にならない仕事のし方は悪いやり方で
排除される事になる。
ここから安易な方向への助走が始まる。
余剰生産品や誤発送返品をなんとしても零にする生産管理体系の開発には、
膨大な費用がかかり「不可能」である、として忘れ去られる。
不良品を無くす為の技術開発も「間に合っている」として減速する。
このようにして専門業者として為すべき「困難を克服する努力」は忘れられて,
永続的な利益をもたらす進歩は止まり、今迄築いてきた規範の維持さえ出来なくなって、
衰えながら混乱に向かって落ちて行く事になる。

QC活動が始まった頃、
「グラフだのデータ−だのでは食えないよ。
其れより一つでも余分に製品を作れ」といわれたものだ。
そしてやがて「品質管理は儲かる」と誰もが信じることが出来るようになった。
これは日本国中の製造に参加した人達が苦労しながら築いた「規範」なのだ。
それがいつの間にか「銭が手に入れば良い」に覆い被されてしまった。
「物作りの心」が失われて、「銭作り」に邁進するようになった。
犯してはならない原則をきちんと守る為に、苦労して新しい道を切り開く努力、
即ち改善・開発・挑戦が見捨てられて、
バブルからヘッジファンド・ナスダック等言う
米国かぶれのあぶく銭に殺到するようになった。
その結果JCOのあの痛ましい事故が起きたのだ。
秋田林業の手抜き工事が行われたのだ。
雪印乳業の問題が起きたのだ。
「起こり得ない事が、起こっている」と言われている。
そうではない。起こり得べくして起こっているのだ。
経営者を見れば分かる。
ここでも2極分化が起こっている。
「物作りの心」を厳しく守っている会社と、「銭作り優先」の考えに汚染された会社である。

「人には人としてやるべきことが有る。其れをきちんとやれば、銭は自然についてくる。」
このような信念が、あぶく銭を見せられて変ってしまった会社は山ほど出ている。
会社の存立基盤 自分自身の責任基盤を見失った社長は、社長足り得るのでしょうか。
こんな社長が 世の中には山ほどいるのです。
経済的に苦しくても決してやってはいけない事が有る。
苦しくても我慢して耐えなければ、進歩はないのです。
所で 皆さんの会社では 如何でしょうか。
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